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​金子昌子美術館(オンライン美術館)

​設立の趣旨

 1980年代、森田文雄・秋沢国男・水上杏平・佃堅輔・川澄吉広ら数多くの美術評論家から激賞されながら、忽然と姿を消した幻の女流画家・金子昌子。『芸術グラフ』『美術グラフ』『毎日グラフ』『芸術公論』等、多くの美術雑誌にその作品が紹介され、1988年には「佃堅輔の選んだ年間ベスト10」に選ばれ(『芸術グラフ』第9巻6号)、1990年には川澄吉広による「日・米・欧 厳選作家による誌上交流」で、フランス、アルジェリア、パレスチナ、ドイツ、スペインの芸術家とともに日本を代表する画家として紹介される(『芸術公論』第7巻6号)。

 1990年代以降、深い瞑想期に入り、昌子が至り着いたのは、深遠な曼荼羅の世界であった。

 昌子はニューヨークで個展を開催するつもりであったらしく、100号超の大作を含む代表作の多くが遺族のもとに保管されていた。そのため、奇跡的に昌子の画風の変遷を追うことができるようになっており、現代の美術史のひとコマを垣間見ることもできる。

 上述の美術雑誌のほとんどがその後、廃刊・休刊に追い込まれたりウェブ版に移行したりする中で、金子昌子が各誌上をにぎわわせたことは昌子個人のみならず当時の美術界全体の勢いを物語るものである。

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