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昌子・クジャク・空海

更新日:5月27日

~昌子はなぜクジャクにこだわったのか~


 金子昌子の旧姓は「佐伯」。結婚する24歳まで、「佐伯昌子」であった。そこに、昌子とクジャクを結ぶヒントがある。


 佐伯姓は、本家の敷地に古墳が現存するほどの由緒ある旧家である。その家紋は、左三つ巴(ひだりみつどもえ)。

 これは全国的に神社の神官に多い家紋で、佐伯家も阿蘇神社関係の神官であった可能性がある。

 一方、日本の歴史上、有名な佐伯姓の人物がいる。――弘法大師・空海である。空海は讃岐国(香川県)の多度津の生まれで、その佐伯姓のルーツは京都にあるという。讃岐佐伯氏と阿蘇佐伯氏との関係は不明で、阿蘇佐伯氏の源流も京都だとする伝承があるので、それぞれ京都から分かれた佐伯氏だったのかもしれない。

 しかし、昌子も昌子の兄たちも、空海と同じルーツの佐伯姓ということで、子供の頃から空海には親近感と誇りを抱いていたという。

 話は飛ぶようだが、司馬遼太郎は1973~75年に「空海の風景」という文章を「中央公論」誌上に連載していた。それを一書にまとめ、『空海の風景』(上巻・下巻)として中央公論社から1975年11月に刊行している。

この書の上巻・第五章(p118~130)に孔雀明王のことが書かれている。そう、昌子が描いたクジャクのモチーフに、孔雀明王が存在したようなのだ。


絹本着色孔雀明王像(京都府福知山市南山観音寺所蔵)


 孔雀明王は「大日如来の化身」として、密教の成立に深く関わっている。

 インドクジャクは毒蛇・毒虫を食べることで知られ、それでいて自らの身体はその害を受けないのだという。体内に解毒・浄化の回路を持っているのだともされる。

 そのために、古代インドにおいて、修行僧たちからクジャクは神聖視された。身の回りの害を一身に受け止め、周囲の者たちに害が及ばないようにしていると考えられたのである。他の者に代わって自らが苦労を受けることを、仏教では「代受苦」(だいじゅく)という。その犠牲的・献身的な姿が、神聖視されたのである。

 

 ところで、昌子の夫は企業の転勤族で、結婚してからの十年ほどは福岡市や北九州市を転々としていた。昌子夫妻が熊本に戻ってきたのは、1972年の夏のこと。それ以降、夫の転勤は熊本市周辺に限られることになったため、昌子も熊本を拠点として落ち着いた生活を送ることができるようになった。昌子37歳のことである。

 その翌年1973年ごろから昌子は画業を本格化させ(それまでは転勤族の夫を支えたり、2人の娘の育児で多忙であった)、熊本市動植物園に動植物のデッサンのために通うようになった。司馬遼太郎が「中央公論」誌上に「空海の風景」を連載していたのと、まさに重なる時期である。

 1973年、74年、75年のころ、昌子はしばしば動植物園のクジャク舎に通うようになり、ついにはクジャク舎の中に入ることを許されるようになったという有名なエピソードがある(現在ではそのような特別扱いは考えられないが、当時はのどかであったようだ)。そして1976年ごろに描いていた「舎のとり」が1977年の日展入選作となり、翌1978年の「華麗なる競演」へと続いたのである。

 〈昌子―佐伯―空海―密教―孔雀明王〉が一本の線でつながる。


ちなみに、不動明王など「~明王」と呼ばれる仏様がおられるが(※)、ほとんどが「忿怒(ふんぬ)の形相(ぎょうそう)」(=怒りの表情)である。降魔(ごうま)を退散させるためである。

 (※)五大明王(不動明王・降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王)のほか、

    大元帥明王・愛染明王・烏枢沙摩明王・馬頭明王、そしてこの孔雀明王。


 その中で、孔雀明王だけが柔和な表情をしているという。これは、慈悲の姿であるとされる。自らの身に毒を受け、苦しんでいるにもかかわらず、それでいて周囲には優しい顔を見せているのである。


 昌子は、美術雑誌のインタビューの中で、

  「孔雀で一番美しいのは、羽ではなく首だと思います。」

と語っている。(『芸術グラフ』第5巻6号(通巻32号)、1984年7月号、森田文雄選評)

 そういえば、昌子はしだいにクジャクの羽を描かなくなり、百合などの花で代用させるようになる。そしてそれらのクジャクはいずれも、天に向かって屹立するかのような「首」を描いているのである。

こころざし 51cm×44cm 油彩


 その首とは、周囲の者たちに害が及ばないよう、自ら毒蛇・毒虫を食っていた、「犠牲の首」であったのだ。昌子はその崇高さに魅せられていたのだろう。


 この話には、続きがある。


 昌子の画風は、第1期「修練期」、第2期「開花期」を経て、美術雑誌に多く掲載されていた第3期「爛熟期」・第4期「深化期」に至るのだが、その先に、究極の密教の世界観を示す〈曼荼羅の世界〉~第5期の「昇華期」~に到達する。


 すなわち、〈昌子―佐伯―空海―密教―孔雀明王―曼荼羅〉が一本の線でつながるというわけである。


 昌子は、画家でありながら、修行を続ける一人の尼のような生涯を送ったのかもしれない。



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