美術評論家たちは金子昌子の何を評価したのか
- kujakuhanamasakobl
- 2024年4月11日
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更新日:2024年5月20日

金子昌子の作品は1983年~90年の8年間に10冊の美術雑誌に掲載され、そのうち9冊において〈選評〉や〈解説〉が書かれた(1冊は絵の掲載のみ)。それらを分析してみると、昌子のどこがどのように評価されたのかが見えてくる。
9冊の美術雑誌に書かれた〈選評〉や〈解説〉の文言を分析してみると、
第1に、色彩感覚
第2に、構想力
が高く評価されていたようである。
そしてその背後に、「たしかなデッサン力」が存在すること、「ふるさと阿蘇への愛着」も揺るぎない個性として評価されていることがわかる。
「マサコブルー」とも呼ばれる独特の透明感は、どのように演出されたのか。
じつは、昌子は画材にかなりこだわっていた。絵の具に瑠璃(ラピスラズリ)、ダイアモンド、プラチナ、ゴールドを混ぜ(しかも絵ごとにその配合を変え)、独特の〈光〉を表現していたのである。これはもはや〈色彩〉を超越した世界である。
それはおもに第3期・第4期の作品についてだが、第1期・第2期のクジャク中心の作品についても、実物の作品を目に前にすると、不思議な光沢があることに気づく(このオンライン美術館の画像では暗く見える絵であっても、実物は〈光〉がある)。油絵なのに重さやべとつき感がない。印象派が太陽光としての〈光〉を湖面の反射、木々の木漏れ日、窓からの差し込みなどで表現したのと違った意味で、金子昌子は「外光」によるものではない、観察対象の〈内在する光〉を描いているのである。
ここで想起されるのが、「黒薩摩」の「黒光り」である。薩摩焼には「白薩摩」と「黒薩摩」があり、司馬遼太郎は「黒薩摩」の黒光りする〈光沢〉を「井光黒(いかりぐろ)」と命名した。まさに、〈内在する光〉の表現である。金子昌子が絵画において実現したのは、まさにそのような色彩を越えた深みの世界であった。
以下、美術評論家たちが美術雑誌上で評価した昌子の魅力を、
(1)色彩感覚 → 透明感
(2)構想力 → 写実と抽象/繊細にして大胆
の2点に整理して紹介する。それに加えて、(1)と(2)の背景にあたるものとして、
(3)たしかなデッサン力
(4)昌子のアイデンティティ
についても美術評論家が指摘しているので、それについても紹介したい。
(以下の引用文のゴシック体は、すべて金子昌子美術館運営委員会による。)
【1】透明感(マサコブルー:特徴的な「青」「緑」の表現世界)
(※ 「ブルー」と命名されているが、実際には「青」と「緑」の世界)
(1)マチエールに独特の輝きがあり、色彩は微妙な変化に富んでいる。青が特に際立つ。(第1期~第2期の6作品についての総合評価)
森田文雄〔『芸術グラフ』第5巻第6号(通巻32号)、1984年7月号〕
※ 「マチエール」は「絵肌」と訳されることが多い。
(2)「ペルシャのガラスの色に魅せられているのですが………」と話すように画面全体が透明感に貫かれている。(第1期~第2期の6作品についての総合評価)
森田文雄〔『芸術グラフ』第5巻第6号(通巻32号)、1984年7月号〕
(3)色数はおさえられているが、それぞれの色彩が持っている味わいを大切にして、美しい画面を形成している。(「鳥界(待春)」について)
秋沢国男〔『毎日グラフ』第38巻第23号(通巻1862号)、1985年6月16日号〕
(4)重疊たる山々には淡い緑色が映って春らしい気配に包まれている。(「鳥界(待春)」について)
水上杏平〔『芸術公論』第2巻第4号(通巻8号)、1985年7月号〕
(5)画面右側に、花びんに活けられた百合の花が、実在の対象物として描出される。この対象物が、画家の眼の内なる光感の視野をひらく。画家はおそらく眼を閉じながら、美しい色の百合の花々が、色と光度の変化を伴って変化してゆく様をとらえようとするのだろう。すると定まらぬイメージの形象が、花を支える背景の青緑色の明るい領域から孔雀の羽を現出させてくる。静かな、まどろみの詩情が、いかにも女性らしい細やかな感性によって語られる。(「鳥界(春夢)」について)
佃堅輔〔『毎日グラフ』第39巻第16号(通巻1906号)、1986年6月29日号〕
(6)画面いっぱいに孔雀が存在し、背景は青を主調にした海や空の大きなひろがりとなっている。透明感の強い明快な色調で、孔雀は日本画風の装飾性の強いものである。爽やかな風が海の向こうから吹き渡ってくる。 清爽感に溢れた優美な作品である。(「風わたる」について)
嶋田三郎〔『芸術公論』第5巻第3号(通巻25号)、1988年5月号〕
(7)空や水にも思える澄んだ青の濃淡の色面構成のなかに、雲や白い花のようなものが軽やかに浮遊する。そして右上方から、草原の楕円形が入り込む。さわやかな初夏の季節のこうした背景的イメージは、孔雀の姿を画面に落ちつかせる。この尾の斑点眼状の赤と薄緑とを帯びた部分は、きらびやかに色づいた貝の数珠つなぎの飾り模様が水面から洗われて浮上したような艶やかさを持っている。それを包む羽の細かな交錯は、羽音をたててこの美に群がる名もない小さな虫たちの饗宴のようにもみえよう。(「風わたる」について)
佃堅輔〔『芸術グラフ」第9巻第6号(通巻58号)、1988年11月号〕
【2】写実と抽象のあわいをゆく構想力/繊細にして大胆
(1)描かれたものは写実を通り抜けた構成であり、色面の形成である。自己の強靱な個性を濾過し、さらに対象を超えて意識の底から純粋の美を造り出す。 それが女史の追求の姿である。(第1期~第2期の6作品についての総合評価)
森田文雄〔『芸術グラフ』第5巻第6号(通巻32号)、1984年7月号〕
(2)作品の構図は大胆だが、確固とした緻密さで決められていて、なお外界に広がりを持つ。(第1期~第2期の6作品についての総合評価)
森田文雄〔『芸術グラフ』第5巻第6号(通巻32号)、1984年7月号〕
(3)孔雀の持つ美しさを簡潔でシャープな表現によって描き出した上に、単純化された自然の風景と組み合わせることによって、そこに洗練された調和を生み出している。孔雀の気高さに自然の雄大な様相が呼応して、そこに自然への讃歌ともいうべき詩的な味わいを生み出しているのが興味深い。(「鳥界(待春)」について)
秋沢国男〔『毎日グラフ』第38巻第23号(通巻1862号)、1985年6月16日号〕
(4)この雌雄の孔雀の姿が現実と幻想の境界で精々とした自然の雰囲気の中で息づいている。冴えた色彩とモチーフがマッチしてユニークな作品にしている。(「鳥界(待春)」について)
水上杏平〔『芸術公論』第2巻第4号(通巻8号)、1985年7月号〕
(5)花は風景を呼び、風景は花に寄りそい、孔雀も花にいざなわれて風景のなかに遊ぶ。だが、鳥の本来の美は、羽を拡げて空に羽ばたくときだ。地上にいる孔雀は、夢想のなかの鳥であろう。風景という夢幻的パースペクティヴのなかで、羽の色の美が、羽を拡げさせよう。羽のイメージ、大気空間を飛行するという羽の超越性は、夢想のたのしい心的経験であろう。(「この道」「無題」「百合」「コスモス」について)
佃堅輔〔『芸術公論』第4巻第3号(通巻19号)、1987年5月号〕
(6)長いドレスを引きずるような孔雀の尾は、体長の4・5倍もあるほどの長さのアンバランスによって、いっそう華美なものを強く印象づけよう。この作家の描く孔雀のモティーフも、孔雀の華美なものに魅せられて、絵画構成にさまざまなヴァリエーションを付与している。(「風わたる」「遊苑」について)
佃堅輔〔『芸術グラフ」第9巻第6号(通巻58号)、1988年11月号〕
(7)孔雀の華麗な象徴とも呼ぶべき尾が画面から省略されている。実際に美の形を描き装飾するのではなく、見る者それぞれに不在のイメージを喚起させる、いわば描かないことによって描く手法である。それまで鳥の全体を描出し、あふれんばかりの感性で作品を彩ってきた金子真子が新しい境地に立って、再び美に対峙する。(「舎のとり1989」について)
川澄吉広〔『芸術公論』第6巻第3号(通巻31号)、1989年5月号〕
(8)千代紙を無作為に貼り合わせたような画面に瞬間、天地の区別すらない抽象画を見たような戸惑いを覚えた。続いて孔雀を見いだし、納得するとともに感心した。(「宴(うたげ)」について)
川澄吉広〔『芸術公論』第7巻第6号(通巻40号)、1990年12月号〕
(9)金子真子は憑かれたように孔を描き続ける作家だ。具象的に全体像を描くところからはじめ、要である尾を省略する、描かないことで描き出す方法に至っていた。観る者の想像力に美を託した作者が「宴」において孔雀をフォルムの制約から解放し、観る者の美に対する想像力を加速するところにまで来たことは当然のように見えてその実、驚くべき展開を果たしたと言える。(「宴(うたげ)」について)
川澄吉広〔『芸術公論』第7巻第6号(通巻40号)、1990年12月号〕
【3】たしかなデッサン力
(1)半ば抽象的でもある女史の〝孔雀〟の背後には、描き貯められたおびただしいスケッチの山がある。
森田文雄〔『芸術グラフ』第5巻第6号(通巻32号)、1984年7月号〕
(2)孔雀のデッサンは、夢想の世界をかたちづくる覚醒時の確かな技法を示す。いきいきとした描出が印象づける鳥の部分図である。
佃堅輔〔『芸術公論』第4巻第3号(通巻19号)、1987年5月号〕
【4】ふるさと阿蘇への愛着/昌子のアイデンティティ
(1)孔雀を好んで描くのは、火の国生まれの女史自身の生き方の証しでもあるのだろうか。
阿蘇を背景に孔雀を描く構想を進めていると聞くと、確かなルーツを持った人物の、揺るぎない心象風景がそこに浮かび上がってくるようだ。(第1期~第2期の6作品についての総合評価)
森田文雄〔『芸術グラフ』第5巻第6号(通巻32号)、1984年7月号〕
(2)この深山幽谷は阿蘇山を想定したものであろうか。重疊たる山々には淡い緑色が映って春らしい気配に包まれている。(「鳥界(待春)」について)
水上杏平〔『芸術公論』第2巻第4号(通巻8号)1985年7月号〕
【3】の(1)(2)にあるように、森田文雄も佃堅輔も金子昌子の絵を見るためにわざわざ東京から熊本まで来ているらしい(昌子のアトリエに来なければ(=出品された完成品だけを見ていたならば)、デッサンを見ることはできないからである。
実際、森田文雄は『芸術グラフ』第5巻第6号(通巻32号) 1984年7月号の取材のために昌子のアトリエを訪れ、その写真を同誌に掲載している。

美術雑誌に掲載されている絵について、ほとんどの場合、美術評論家たちは絵そのものの構図や色彩を評価している。ところが金子昌子については、完成品たる絵画の背後にある、昌子のデッサン力という基礎力、マチエール(絵肌、キャンバス上の質感)についてのこだわり、強靭な個性、ひいてはふるさと阿蘇への愛着というアイデンティティに至るまで丸ごと評価しているのである。
この時期、美術雑誌の誌上で評価されている作家の中で、このような評価のされかた(アトリエ風景が紹介されるなど)をしている例は、昌子以外には(大家ならばともかく新進気鋭の作家については)ほとんどない。
美術評論家たちにとって、金子昌子は唯一無二の存在であったようだ。
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